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大里製粉所

 金子のモットーは、「商売の基礎は地理的条件が必要だ」というものである。それは前項で述べたような大里で、これらの条件を完備していた。そのため、大里製糖所で成功した直後、そこに大里製粉所を設けることを思いついた。明治四十四年米国仕込みの技師米田を雇い、香港の某工場から中古の機械を買い入れるため永井幸太郎を香港へ派遣しこれを買い取り、大里製粉所を建設し、鈴木はパン粉の安売りにも一頭地を抜いた。この点でも金子の頭の良さが遺憾なく証明されている。なおこの製粉所は後年岩崎精七が経営している日本製粉会社と合併した。