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緒言

 金子柳田両翁頌徳会の一事業として両翁の伝記を編纂することとなり、私にその編纂が委嘱されましたが、私は鈴木商店にも関係なくまた重厚なる商傑柳田翁に一面識もありません。まして金子翁のような我が財界不世出の偉人の伝記を書してその全貌を余蘊なく描写することなどは私のような浅学凡慮の者には到底なしがたいところであります。しかし、私は商売以外の点で常に翁のご愛顧を受けていたのでその片鱗ぐらいは観察できるであろうと言うことと、私が日本財界人として一番翁を崇拝尊敬しておりました点、また、わたしの先祖が元亀天正の昔伊予金子城の家老職であって、翁の祖先とともに戦死したこと等の関係から先年翁がこの史実を私に書かせられたこともあるので、両翁伝記編纂委員諸氏から是非ともやってみよとの仰せがありましたから、私は一は金子翁の知遇に報いる最後のお勤めであると思い、一は翁は我が実業界の偉人であると同時にその品性篤行が稀に見る聖人であって主家鈴木家に対する忠順遺芳とともに永く後人が亀鑑とすべきものであることを考え、これらの事柄をつぶさに鮮明にし、終戦後ややもすれば思想が悪化しようとする世相に鑑み、万人敬仰の師表でありまた立志伝中の大人物である両翁の事歴を描写しその人となりをあまねく江湖に推奨することは時局匡救の一助と、後進奮起の清涼剤ともなり、いささか世道人心に役立つであろうと思料し、敢えて非力を顧みず、私の余技として寸暇を割き、禿筆を呵して本書の編纂を引き受けるに至ったのであります。
 しかしながら金子翁の機略と智謀は到底凡夫の筆では限りある紙面をもってよくその全貌を尽くすことはできないのはもちろんであります。故にその神機妙算等に至っては、私の拙文に拘泥することなくよろしく読者の推察自得の工夫を凝され、自ら無形に見、無声に聴くの妙境に至るのを待つものであります。この苦心、努力、自得があってしかる後にはじめて生きた金子翁なり柳田翁なりの全生涯を伺うことができれば編者の幸い、何ものかこれに過ぐるものはありません。
 本書の巻頭に宇垣一成翁および編纂委員代表高畑誠一氏がいずれもご自身が執筆された序文を掲載することができまして、本書に一段の光彩を添えましたことは誠に光栄として感謝措く能わざるところであります。
 本書の校正がほぼできた日、八月中旬、金子翁と親交があった松方幸次郎翁を鎌倉長谷に伺い序文を請おうとしましたが、病が重く意識を弁ぜられずこれを果たすことができなかったことを甚だ遺憾に思いました。
 本書編纂に当たり編纂委員中、主として高畑誠一氏のお骨折りを煩わし、長崎英造、住田正一両氏のご校閲とご意見を拝聴し、橋本隆正、金子文蔵、柳田義一、同彦次から色々な参考書を拝借し、なおまた、西川玉之助、芳川筍之助両老を訪問して両翁の懐旧談を聞き、また鈴木関係の田宮嘉右衛門、高畑誠一、中井義雄、落合豊一、田中秀夫、楠瀬正一、竹岡筍三、越智望、小川実三郎、竹村房吉、平岡寅太郎その他諸賢から座談会において色々有益な材料を提供され、金光庸夫氏から金子翁に対する面白い記事を氏一流の名文で寄稿され、また両翁の感想文として鈴木岩蔵、金子文蔵、長崎英造、久村清太、田宮嘉右衛門、辻湊、平高寅太郎、西岡啓二、柳田義一、樽谷勘三郎、杉山金太郎、永井幸太郎、高畑誠一、賀集益蔵、浅田長平、小野三郎、森本準一、高橋半助、松島誠、亀井英之助、上村政吉、小川実三郎、柳田彦次、谷治之助、諸氏の玉稿を登載させていただき本書の価値を高めたことは編者が謹んで感謝する次第であります。なお、田代義雄、鈴木正、藤原楚水(東洋経済新聞社)、前田馬城太、清水長郷、倉田平治諸氏らより出版上いろいろな奔走や有益な助言を与えられ、また松嶋誠、青木一葉、滝川儀作、伊藤寿、浅田長平、竹村房吉、松本三平、西岡勢七、武藤作次、武岡忠夫、近藤正太郎、井原美三、荒木忠雄、浅田泉次郎、肥後誠一郎、矢野謙治、狩野蔵次郎、土居英成、寺崎栄一郎、西岡啓二、野並臣夫、安藤珍成、楓英吉、その他の諸氏から多彩な感想文をたまわりましたが、これを本文中に挿入し、あるいは紙面に限りがあることと他の記事と重複する点から、僭越ながら編者において取捨塩梅したことを謹んでお詫びをかね深く御礼申し上げます。
 以上のとおり、各方面から折角貴重な玉稿と資料を頂戴しましたので、私としては拮据黽勉いやしくも遺漏がないことを期しましたが、ただただ不文非才のため、意余りあるも力足らず諸賢のご期待を満たすに至らず、かつこの偉大なる両翁の全貌を描写することができなかったことは衷心遺憾に堪えない次第であります。
 なお編纂上左の諸点を特におことわり致しておきます。
一、本書の記述はつとめて口語体とし専ら達意を旨として潤色を加えないこととしました。
一、本書中にある人物の氏名は煩雑を避けるため、すべて敬称を用いませんでしたから特にお許しを願っておきます。
一、行文中両翁の幼少を氏とか翁と呼ぶことはふさわしくないので便宜上幼時は彼と呼び、壮年期は氏と呼び、晩年は翁と呼ぶことにいたしました。
一、金子翁の詩藻中の和歌、俳句の中の「之」「而」「江」「茂」「那」等は「の」「て」「え」「も」「な」等に改めました。
一、金子翁の詩藻は主として元秘書椋野武吉氏の集蔵に関わるものから採りました。
一、金子翁の書簡中の送り仮名もすべて前同様に改め、またひらがなとカタカナとを混用した書簡類はすべてこれをひらがなに統一しました。
 以上のように沢山の資料がありましたが、編者は柳田翁に一面識もなかったので、翁の私的方面の記事はすべてご令息諸氏からの聞き書きであるので、文中隔靴掻痒な間の抜けた点が多々ありましょうが、これまた私の未熟の致すところとして何卒読者のご了恕を乞う次第であります。
一、金子翁には十数年来の知遇を得、直接ご面語を得たので永い間の翁の直話、および前項諸氏のご高説やその書簡の披見を許され、また事業に関係する公私の文書、秘録、著作等を参考とすることができましたが、幼時の事歴は翁のご舎弟、楠馬翁の直話から採取したのであります。
編著 白石友治