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金子と塩水糖の槙哲

 外糖の一手取り扱いは天馬空を行く態の鈴木商店であり、内地の販売は鈴木と安部幸商店とが半分宛であった。当時の塩糖株といえば後の日産株と同様思惑株の花形で一高一低の波乱を書いたものである。塩糖が国内糖自給の切り替えに遅れ、ジャワ糖の思惑損で資産内容が怪しくなりその穴を内緒で埋めていくために大増資でもやってどさくさ紛れにプレミアムでも稼ぐつもりであったが、また本筋には会社の経営方針を台湾糖中心主義に転向する必要上、社長槙哲一流の英断で皿谷常務の進言を容れ、産糖高増加の後図を策す手段として林本源合併による増資の大芝居を打つ必要に迫られたのである。これは決して乱暴でも無鉄砲でもなかった。しかしこの計画を樹立実行するにあたって槙は鈴木商店の破綻と金融恐慌とがこうも速くに崩れかかろうとは想像しなかった。そこはこの碁の重要な見落としである。槙哲は識見才幹はもとより非凡な人物で、時の人は彼を評して剣術使いのような男であると言っている。しかし恩威寛厳よろしきを得、身をもって社員を悦服させることや、仕事のやり方の強気一本槍の点など金子の亜流に似ている。いつも帆を一杯に掲げて走っている。見ていて誠に爽快である。右顧左眄の跡がない。しかしそれだけ一旦逆風に襲われると方向転換が容易でない。惨禍はそれだけ大きいのである。思うに槙も金子もあまり先が見え過ぎるのでかえって禍を招いた傾がある。諺にも「百歩先が見える者は狂人扱いされ、五十歩先が見える者は多く犠牲者となり、一歩先が見える者が成功者で、現在を見えないものは落伍者である」と真に考えるべき名句である。