しかしながら、当時なお世間の不況は深刻の度を増すばかりで、一陽来福の曙光は容易に望まれそうにもなかった。我が財界がこんな風に奈落の底に叩き落とされた時、金子は世界の各地に派遣しておいた店員から頻々として入ってくる電報を前にしてこれを頭の中で総合して刻々変化してゆく世界の大勢を観察することを怠らなかった。こうして十一月に入るや、氏はあたかも霊夢にでも憑かれたかのように黄金の洪水が日本に向かって押し寄せて来つつあることを予感し、この時氏は男子として緊褌一番すべきはまさにこの時だと考えた。須らく、この千載一遇の好機に乗じて鈴木商店を天下に大ならしめようと、すなわち氏は世界の商品、ことに軍需品は必ず暴騰するに違いないという判断の下に、当時の会計主任日野誠義に命じ、「今日以後は鈴木の信用と財産とを十分に利用してできるだけの金をこしらえ極度の融通を図ってもらいたい。またいかに行き詰まるとも自分の戦闘力を鈍らせるようなことは言ってくれるな。盲滅法だ。まっしぐらに前進じゃ。いよいよ行かぬ時には俺だけにそっと言え。鈴木が大をなすのはこの一挙にある」と言い渡し、すべての商品船舶に対して一斉に買い思惑を建てた。もっとも大戦二年前すでに世界貿易の中心であるロンドンに芳川筍之助を送って駐在させ、ジャワ糖、ラングーン、サイコン米の輸入の商売を進捗させてあったが、大正十五年には高畑誠一を芳川の後任として大戦一年前にロンドンに赴任させ大戦中大戦後ロンドン支店長として滞留させた。高畑赴任の時、後藤毛織の後藤恕作が欧米視察をするので同行させた。その後日本商業の機械部主任として入社した岡本良太郎に欧州各国を視察させた。豪州へは北浜留松、米国には柏万次郎を起用し、また相次いで谷治之助と永井幸太郎を同伴させロンドンに派遣させたが第一時開戦と同時に永井は帰朝し、さらにロシア・ペトログラードに出張させ、また中国、欧米の各要地に支店出張所を設け、世界的な戦線を張っていたのである。当時世間では氏のこの冒険的買い占めを見て、「金子は気が狂ったか」と笑ったほどである。しかし氏の先見は果たして過ぎてはおらず、買い占めを始めて三、四ヶ月経過した大正四年の二、三月頃から物価は暴騰を始め景気は立ち直った。鈴木商店は一挙数千万円の巨利を博したのである。
当時その買い占めを行った物のうちで最初に目をつけたのが鉄である。戦争が始まれば鉄の需要が起こり、海運界が活躍すると見た氏は、まず最初に英国の鉄を買い占め、次いで米国の鉄に手を伸ばし、造船に目をつけ、三菱造船所に一万トン級の貨物船を一度に三艘も注文し世間をあっと驚かした。
当時川崎造船の松方幸次郎も船舶の暴騰を見越して海軍その他の注文を断り、ストックボートを計画したが、それに要した鉄はその大部分を鈴木商店の供給に仰いだ。この松方の計画は結局百万トン近くの船舶建造を実現した。すなわち、国際汽船へ二十八、九万トン、川崎汽船および川崎造船所の所有船二十五、六万トン、英米諸国に売ったものが三十余万トン、その他なお二十五万トンほど計画はあったが、鈴木商店はこの膨大な松方の計画実現に必要な鉄の大部分を供給した。その他、なお三菱造船、石川島造船所、大阪鉄鋼所等の各造船所にも多量に鉄の供給をやった。その上に自分にも播磨、鳥羽の二造船所を経営したのである。この時鈴木商店の財産はたちまちにして二億三億で唱えられるようになった。
この頃は金子氏が得意絶頂の時で、最も張り切って三面六臂の活動をしていた時代である。その意気はまさに天を衝くの慨があった。当時十一月一日、暑からず寒からず、季節としても身体に最も好適な菊花薫る中秋の朝である。氏は須磨の自邸で
昧爽足厥起して書斎に入った。多分昨夜は氏が好きな豊太閤や那翁の夢でも見たのであろう。書斎に入ると海の彼方から燃ゆるが如き旭日が東天に沖している。快い陽光が一杯にサンサンとして挿しいって来る。氏はその燦光を満身に浴びながら太い巻紙と筆を採って己の抱負と鈴木商店の店是をロンドンの高畑支店長の元に書き送ったのである。その筆勢は雄渾にして逸駒の如く自由奔放に走ってその丈二十一尺の長さにわたっている。その全文を左に掲げる。
高畑君に対し 先日御懇書を以って戦争に依る英米財界の変遷を報道せられ是が確に吾人の法螺袋の一部と成りしを感謝す 尚如斯一般的の報告と共に又専門的 たとえば豆が戦争の為どうなるか戦後樟脳がどう成るとかこうなるとかいうような報告をも賜わらん事を望む
すなわち一般的報告もすこぶる必要には相違無いが当店の取り扱いに関わるものないし日本の商売に関係ある砂糖、米、豆、石炭、船、樟脳、ハッカ等の部分的商品に対する戦前戦後需要の変遷等の報告がより以上必要だと言うに在り けだし戦争が終局に進むに従ってやや益々必要を感じるものとご承知を乞う
小川くんの増員を行うもまたロンドン出張所に如斯余裕を与えんと欲するに他ならず 今小生が聞かんとする所を左に示録せば今日船舶の黄金時代が戦後まで継続するものとせば大凡何時迄継続すべき哉 戦後運賃界は如何に成行べき乎
砂糖の商況は戦後如何に成行べき乎 戦後に於ける需要供給の状態如何
その他米、豆、豆油、魚油、樟脳、ハッカ、銅、錫、亜鉛、鉛等につき現在の状況および戦後における需要供給の変化の見込み如何等
また英米における鉄の供給は戦局の如何に関わらず継続し得らるるや 戦後に於ける需要供給の見込み如何
労銀が戦争の前と今日と何程の差を生じたるや又戦後労銀の見込み如何
造船費用は戦前と今日と又何程の差ありや戦後は如何に成行べき乎
英国における戦前と今日とを比較した物価表を送られたし但し指数に依るものにては駄目也 すなわち各種商品の高低表を見て今日迄いまだ心付かざりし金儲けの材料を得んとするにあればなり 英国如何に富めりといえども今日のような大戦を長くやる時は結局不換紙幣を発行するに至らんこれ吾人の最も恐るる所この点に深く注意されんことを切望す
戦争のため英国の商業は地方的になりつつあり仏米に人を派遣するの要なき乎
今後は日本米と豆の輸出を盛大にやらんと欲す 昨年の例に依るときは米は満足すべき商売を為したるも豆は甚だ不十分なりし 大いに協力せられん事を望む 豆および豆油の商売は土地の小寺すこぶる優勢なり豆油の如き鈴木商店の輸出は多数の場合にて一回十二万箱に過ぎざるも小寺の場合は豆油の滞船積商売をなすこと珍かしからざるを以って甚だ羨望に耐えずあるいは言うコンサイメントをなす故如斯多額の積み出しをやるもの也と 果たして然る時何らうやらましきことなしといえども もし然らざる時は商人の大恥辱なるをもって一片の御調査を乞う
豆もまた現在の取引先にては不十分にして当地大連にて意の如く活動出来ざるを覚ゆこれもまた特別の注意を払われんことを委嘱す
当方にては銅亜鉛等の精錬事業を開始したるに甚だ好結果也 すなわち銅は支那の古銭その他古金類を分解亜鉛と銅を得るにあり亜鉛と鉛はロシヤ豪州より鉱石を取り寄せこれを精錬しつつありこの事業に対しても有益なる報告と知識を与えられんことを望む
船舶 先の帝国丸は他に売却(明年七月六十五万円にて)せり続いて報国丸もまた売らんとす その代わりに一万トンの船二つ五千トン一つと三千トン一つ今新造中也 一番早き分にて来年八月に出来る
小川君持参の砲弾はロシアの注文にて数ヶ月後より製造する予定也
貴地にても仏国その他より注文を得べし代価は一個十八円なり高ければカウンターオファーを望む その他これほどの軍需品日本にて出来るものは注文をとること甚だ面白かるべしこれ仏国に人を派する必要あらんかと考う所以也
今当店の成しうる計画はすべて満点の成績にて進みつつあり お互いに商人としてこの大乱の真中に生まれ しかも世界的商業に関係せる仕事に従事し得るは無上の光栄とせざるを得ず すなわちこの戦乱の変遷を利用し大儲けをなし三井三菱を圧倒する乎 然らざるも彼らと並んで天下を三分する乎 これ鈴木商店全員の理想とする所也 小生どもこれがため生命を五年や十年早くするも縮小するもさらに厭うところにあらず 要は成功如何にありと考え日々奮戦罷在り
恐らくはドイツ皇帝カイザーといえども小生ほど働き居らざるべしと自任し居る所也 ロンドンの諸君これに協力を切望す 小生が須磨自宅において出勤前この書を認むるは 日本海々戦における東郷大将がかの「皇国の興廃この一挙に在り」と信号したると同一の心持ち也
大正六年十一月一日 須磨自宅にて 金子直吉
高畑君 小林君 小川君