大正十二年関東震災の直後、金子翁は二千五百万円の資本を投じる計画で阪神海岸鉄道敷設の計画を立てた。これは阪急、阪神、国道線、省線がどれも十九里を下らず、所要時間もそれぞれ三〇分以上を要するのに対し、海岸鉄道は延長十六里、所要時間二十数分で、かつ接続点の関係上大阪湾岸環状線を完成する点などを数えるなら、この線の持ち味は国家貿易と商事上、実に百年の大計というべきだった。
この鉄道を敷設されるなら、大阪神戸の市街地にある工場がこの沿線の草茫々の地域に移すことで、輸送の利便から著しくコストを下げることができる。また、この鉄道のゲージは三尺六寸に設計すると国有鉄道と同じゲージになり、国鉄貨車の出入りも自由である。そして海岸一帯の工場は理想的岸壁に囲繞され、外洋貨物船はそのまま工場岸壁に繋船でき、大小のウインチを直に貨車から、あるいは船舶から交互に揚げ降ろしできる便もある。これらの利益と最初工場を建てる時の地価その他安価な固定資金の軽減からくるものとを合算するなら、コストの低減によりその生産品は、内は諸生産、大消費地に近く、民生に寄与し、外は世界市場に雄飛することを期待して待つべきものがある。従って、国土の狭小と生産資材の乏しさを補い、貿易立国の実現に役立つのはもちろんである。今日敗戦の結果、叢爾たるトンボの四小島に限局された領土に、盛り溢れるほどの人口を擁して前途茫洋の感が募る現下、先覚金子翁の計画を窺い見て誠に驚嘆讃仰に値するものがある。しかしこれは鈴木商店破綻のためにこの計画は実現するに至らなかったことは惜んでもなお余りある次第である。(西岡勢七氏稿)