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支那観

 昭和十六年頃、松島誠が金子翁を訪ねた時、談たまたま日支事変全面和平の話が出た。松島は「支那人は耐乏の民族で貧乏に甘んじ安価な経済と消費節約に堪え久しきに亘っても決して苦にしない民族である。耐乏は長久に繁栄するものである」と言ったら、翁は「なるほどそうだ。日本国民も耐乏の民族として支那のように生活水準を引き下げて一層消費生活を切り下げ、貧乏線以下の生活に甘んじてやらねばならない。ソ連の制限生活、支那の九割、四億に近い農民のように一定水準以下の生活をすれば、国民は長久に安泰である。支那との戦争は辛苦耐乏の競争である。俺も旅順に旬日、漢口に二三日滞在して支那人の性格知っている。実に辛抱強いどっしりしたところがある。支那人は安い経費で競争力が強いから最後は恐るべき勝利となる。これに反して日本人の商売は、支那の街ではモルヒネの売買とタバコくらいである。それに飲み食いの料理屋が成功する。日本人も将来は耐乏の習慣を養い、辛抱強くして商業で勝つ他に策はない。国民皆兵論よりも国民皆貧論である」と大笑いした。なお、その時、金子翁は世の栄枯盛衰を語り、「支那は百戦百敗を覚悟している厄介至極の国柄であり民衆である。百戦百勝して慢心の結果、深入りして憂うべき危険があることを思わなければならない」と付け加えた。