金子直吉翁は土佐の産まれ、資性高潔、識見高邁、奇策縦横の士也。身を貧窶に起こし苦学力行す。二十一歳の時神戸鈴木商店に仕え、終生献身忠誠を尽くす。同店が五十有余の事業会社を興しこれを海外貿易に結合し驚異の世界的発展を遂げ其の名声を四海に轟かし、あるいは第一次世界大戦当時の日米船鉄交換の如き何れも翁の天稟と努力に因る。而して翁伝統の遺業は帝国人絹、神戸製鋼、播磨造船、豊年製油、クロード式窒素工業等皆人口に膾炙し其の商略店風は日商産業等に継承せられ各々国家に貢献する処頗る大也。晩年同店蹉跌の後、太陽産業に拠り挽回に奮闘したるも惜しい哉、業半ばにして逝く。維時昭和十九年二月二十六日享年七十九歳也。